001 気まぐれスタジオブログ始めました
はじめに
簡単に自己紹介をさせていただきます。
大阪で妻と一人娘と暮らすアラフィフカメラマンをしています。30歳の頃から大手雑誌の制作を行う編集プロダクションでディレクター兼ライターをしていました。撮影は外部のカメラマンにお願いするまでもないカットを(要は編プロ側にお金の余裕がないため)、ちょこちょこ行う程度からスタート。低所得、趙ブラックな環境だったので、その頃の目標はカメラ&ライターで独立すること。カメラの勉強については師事は受けず、現場でご一緒したカメラマンさんから教えてもらったり、現場を手伝ったりして学びました。
運の良いことにご一緒するカメラマンはいい方ばかり。機材やライト関係も、質問すれば丁寧に教えてくれました(もちろん関係性ができた上で)
なので、ある意味師匠はたくさんいます。
結局、5年半の編プロ時代を経て、2011年の春からフリーランスのカメラマン兼ライターとして無事独立しました。
※厳密にいうと紙面を扱うディレクターで、カメラもライティング(物書き)もできます、という立ち位置。
最初は雑誌の広告タイアップなどが多く、撮影以外にもディレクションとライターもしていましたが徐々に撮影が多くなり、現在はほぼ撮影のみ。5年前に動画も始めて今は写真と動画は半々くらいです。
そして、2021年3月に撮影スタジオを大阪西区の土佐堀で開業。
あっという間に4年目を迎えたので、撮影のこと、機材のことなどを中心に、気まぐれでブログを始めることにしました。
のんびりスタジオのことを綴っていけたらと思っています。長く続けられるように保険をかけて「気まぐれ」を全面に押しております!
スタジオを始めたきっかけ
撮影スタジオを始めたきっかけは、2020年から日本にやってきた「コロナ(COVID‑19)」でした。
年明け早々から日本で初の感染者が出てからは、あれよあれよと全国へ蔓延、2020年の4月7日には第一回目の緊急事態宣言が発令されました。当時、私の撮影がロケやイベントが中心だったこともあり、4月、5月の仕事は軒並み延期&中止。スケジュールが真っ白となり、3歳の娘と近所の公園にいくだけの日々を送っていました。
5月下旬に緊急事態宣言が明けたのですが、世間の状況は大きくは変わらず。「3密を守ろう!」「アフターコロナ!ウィズコロナ!」の風潮とマスクが定着。
6月からはある程度仕事は回復したのですが、まともに撮影ができない状況が続き、先の見えない日々を送りました。
同じ頃、コロナとは別の理由で10年ほど間借りしていた事務所を出ることに。(元の事務所は16坪。3−4人でシェア。他の方に気を遣いながら、夜中などに空いた場所で、簡易の物撮り程度をしていました)
最初は大阪市内で「スタジオ兼事務所」を月額10−15万ほどの物件を探したのですが、スタジオとして使える場所などまあ皆無。
流石に無謀だとわかりつつも奇跡の物件がないかを探して奔走していました。(今は賃料が上がりすぎてもっとないかもですが)
その後、20万に上げて探した物件がこちら、それでも希望の物件は全くなし
撮影できる場所を大阪市内で借りたい。でも条件と料金が本当に合わない。
そこで考えたのが、レンタル撮影スタジオでした。
大阪市内での物件探し
ベタなアイデアなのですが、私が使用しないときは人に貸して賃料を補填しようというもの。
賃料の幅をさらに広げて探し始めたものの、天井が低い、機材が置けない、窓がない、トイレがない、アンペアが低い、場所が辺鄙、建物が古すぎる、前に車が置けない(道具を運べない)、3−4階で階段しかない、などなど。どれかを妥協するしかない箱ばかりでした。
そんななか当時の最有力候補は、JR大正駅からバスで10分の辺鄙なコンビニ居抜き物件。
全面ガラスと駐車場がよかったのですが、とにかく遠い。あとコンビニ感!
その頃、妻もなんとなく探してくれていたのですが、「ここは?」って見つけたくれたのが現在の土佐堀でした。
都心部にあり川沿い、自然光がたっぷりで100㎡以上の広さ。余計な柱などもなく正方形に近い空間。そして自分の家からも近くてチャリ範囲!
ここなら人物も商品も難なく撮れる。インタビューやイメージ動画の利用も、配信にも良さげ、と。
結局予定していたよりもかなりオーバーした賃料でしたが20件ほど探した中でここがダントツでした。ここを見た後は、他の物件が目に入らなくなってました。
工事前のスケルトン空間。何度も撮影シミュレーションをしました
リノベーションを経て
工事はエアコン、換気扇(コロナ対策)、水回り、電気配線、床の張り替えなど。初期投資はどんどん膨らみ想像していた倍ほどかかったと思います。
家を買ったこともないため、私にとっては人生最大の投資。しかも一括!
今までは対企業のみだったし、「こんにちは初めまして」とお店で迎える業務は、学生のバイト以来。
うまくいくかも全く分からないものに、大きなランニングコストはかけられないのは重々承知の上でしたが、ここまで来るとやりたいが勝ってしまい、一念発起して「解決策=新ビジネス」という無謀な賭けに出たのです。
契約は2020年の10月から。工事、引っ越し、機材などの設備完備、HP作成などを経て2021年の3月にオープンとなりました。
壁塗りボランティアを呼びかけたところ、たくさんの友人が手伝ってくれました
大変だったし不安もあったけど、自身初のスタジオにはやっぱしワクワク。
スタジオ名は100個ほど考えて、「studio akegure」にしました。意味はブログタイトルの意味「撮影に明け暮れる:アケクレ」とコロナ期が明ける(夜が明ける寸前という意味の「明け暗れ:アケグレ」がかかってます。
そして、オープンしてからは・・・
なぜ調子に乗ってこんな頭のおかしいことを始めたんだっけ?と、眠れない後悔の日々が続きました…
(続きは近々書きますね)